4月5日(金) pm7:00 渋谷 公園通りクラシックス Tel.03-3464-2701
http://k-classics.net/
出演:佐藤行衛&コプチャンチョンゴル(佐藤行衛g,vo+明井幸次郎b+伊藤孝喜ds)
ゲスト:尾上祐一+山本耕一郎
サード・アルバム『ク ナルン オルコヤ The Day will Come』
透明なサウンドとパワフルな歌
心臓もはち切れんばかりの全力疾走!
世界平和をストレートに歌ったサイケデリック•ロックのパノラマ「その日はやって来る」、アコースティック・ギターの透明な音色とリズムが胸を焦がす「故郷」、チャンゴ、アゴゴ・ベル、マラカス、ボンゴ、クィーカー、サンバ・ホイッスルなど。世界の打楽器が調和する「たいまつ」、環境問題をテーマにした「 Sliver Lake」など。
サード・アルバム全体に、長年コプチャンチョンゴルが追求してきたオールド・ヴィンテージなサイケデリック•ロックが、21世紀に復活し、今、ここで、花を咲かせたのだ。
なおこのアルバムには、韓国屈指のギタリスト、シン・デチョル(シナウィ)と一緒に演奏したサイケデリック•ジャム収録の『サイケ万歳 In Memory of Love Camp』がボーナスCDとして付いている。
“反戦を叫ぶ”
三一節に響く、日本人バンド“佐藤行衛&コプチャンチョンゴル”Come Backの歌
日本の自民党が、2012年12月16日の総選挙で、既存の118席になんと176席を加えた294議席を獲得し圧勝を収めた。3年3ヶ月間の民主党政権が幕を下ろし、戦後の日本を長く執権してきた自民党が再び政権を握ることになった。これにより、一部では韓国との関係が悪くなるのではないかと懸念の声が上がり始めている。
韓国でも2月25日に朴槿恵政権となった。大統領選挙での51.6%という高い得票率と、与党が多数を占める国会で、安定的に国政を運営することができるだろう。安倍首相は、2月22日の“竹島の日”の政府行事昇格をキャンセルし、竹島領有権問題の国際司法裁判所単独提訴も延期するなど、日韓関係正常化に方向を定めたものとみられる。
日韓インディーズバンドの橋頭堡である“佐藤行衛&コプチャンチョンゴル”が、三一節(3月1日:韓国での抗日独立運動記念日)を基点に、サード・アルバムのタイトル曲でもある反戦歌「その日はやって来る」を携え、バンド結成18年ぶりに初の韓国での単独有料公演を行う。竹島問題、日帝時代の謝罪および従軍慰安婦問題、日本の平和憲法改正問題など、すべての日韓関係の政治的な事柄は後回しにして、純粋に音楽だけで結成された“コプチャンチョンゴル”は、韓国と日本を行き来しながら、楽しく歌って演奏する。イイネ! 好きな音楽を心の底から演奏するのだ。
“コプチャンチョンゴルは、ユーモアとエネルギーと哲学を持っている”- ハン・デスのラジオ番組『幸せの国へ』
コプチャンチョンゴルは、日本文化開放以前から弘大で活動し、1999年アルバム『アンニョンハシむニカ?』(ドレミレコード)で、韓国で正式にデビューした、初の日本人ロックバンドである。当時多数のメディアで紹介されたコプチャンチョンゴルは、「シン·ジュンヒョンやサヌリムといった、韓国ロックの創始者たちの音楽が好きで韓国に渡って来た」という理由によっても有名であった。
“佐藤行衛&コプチャンチョンゴル”は、デビュー・アルバム発売時、当局から日本人の名前は許可できないとされ、バンド名もただの“コプチャンチョンゴル(モツ鍋)”にさせられた。
その後リーダーの佐藤行衛が、2009年にソロ・アルバム『愛しい君』を発表、佐藤行衛がボーカル&ギター、柴藤耕一郎がベース、伊藤孝喜がドラムというメンバーで、2011年にコプチャンチョンゴルのセカンド・アルバム『僕と一緒に踊ろう』を発表した。
2013年サード・アルバム『その日はやって来る』では、社会的なメッセージを初めて言葉にしたが、コプチャンチョンゴルならではのサイケデリック感やエキゾチックな感性が曲ごとにあふれている。
透明なサウンドとパワフルな歌
心臓もはち切れんばかりの全力疾走!
世界平和をストレートに歌ったサイケデリック·ロックのパノラマ「その日はやって来る」、アコースティック・ギターの透明な音色とリズムが胸を焦がす「故郷」、チャンゴ、アゴゴ・ベル、マラカス、ボンゴ、クィーカー、サンバ・ホイッスルなど。世界の打楽器が調和する「たいまつ」、環境問題をテーマにした「 Sliver Lake」など、サード・アルバム全体に、長年コプチャンチョンゴルが追求してきたオールド・ヴィンテージなサイケデリック·ロックが、21世紀に復活し、今、ここで、花を咲かせたのだ。
なおこのアルバムには、韓国屈指のギタリスト、シン・デチョル(シナウィ)と一緒に演奏したサイケデリック·ジャム収録の『サイケ万歳 In Memory of Love Camp』がボーナスCDとして付いている。
“佐藤行衛&コプチャンチョンゴル”ストーリー
韓国ロックの生みの親、シン·ジュンヒョンの音楽の虜となった日本人、佐藤行衛が、1995年に日本で結成した韓国ロック・バンド "佐藤行衛&コプチャンチョンゴル"は、結成当時から大きな関心を呼び起こした。
1996年、狎鴎亭のライブハウスでの韓国初公演は、日本人だという理由だけで、開演3時間前に当局から公演禁止の通告を受けた。
しかし、このようなハプニングにより、むしろ佐藤行衛&コプチャンチョンゴルは、韓国大衆音楽界で話題となり、大手レコード会社であるドレミレコードから、1999年、アルバム『アンニョンハシむニカ』でデビューする。
当時、日本人の名前をバンド名には入れるなという当局からの要請で、バンド名が“コプチャンチョンゴル”と短縮される。
リーダー佐藤行衛が、自己の音楽人生20年ぶりにやっと果たせたデビュー、それも自国ではなく韓国でのデビュー。その奇跡に喜ぶ時期は長くはつづかなかった。アルバム発表後数ヶ月のちには、ドレミレコード社と契約期間も終わり、メンバーたちは生活のためにバラバラとなり、リーダーの佐藤行衛がひとりでバンドの名目を継続する、長い忍耐の時間がやって来た。
韓国音楽界における佐藤行衛の行動は、大衆音楽だけにとどまらなかった。彼は弘大前のクラブで “プルガサリ”というイベントを継続的に開催し、当時の韓国アンダーグラウンド・シーンにも皆無だった、フリー・インプロビゼーションやノイズ・ミュージックという新しいジャンルのムーブメントも作った。
所属事務所もなく、アーティスト・ビザもない。忍苦の時を過ごしている彼にもうひとつの試練がおとずれた。プルガサリ公演で受け取った入場料5000ウォン(約500円)が問題となり、2005年、強制追放されることになる。
韓国人の配偶者を得たことで、1年後に再入国した佐藤行衛は、2011年、コプチャンチョンゴルのセカンド・アルバム『僕と一緒に踊ろう』を発表したが、バンドのメンバーたちの公演ビザがないため、公式な表舞台に立つことはできなかった。
2012年、彼らに新しいチャンスが訪れた。多文化芸術団体 “サラダ”と専属契約を結び、文化体育観光部長官の雇用推薦を受け、コプチャンチョンゴルは正式にアーティスト・ビザを取得したのだ。
音楽人生の中で確かに大器晩成といえる佐藤行衛&コプチャンチョンゴル。韓国ロック音楽を演奏する韓国唯一の日本人バンドとして、彼らのデビュー18年目の2013年三一節における初の有料単独公演にかける期待と感動は、こういったストーリーにより一層大きく熱いのだ。
1995年、日本人による韓国ロック・バンド“佐藤行衛&コプチャンチョンゴル”結成。
韓国のロックバンド“シナウィ”、“ユン・ドヒョン・バンド”、“ファンシネ・バンド”などを日本に招聘し、共同コンサートを主催。
1999年、韓国初の日本人ロック・グループとしてデビュー。バンド名“コプチャンチョンゴル”
デビュー・アルバム『アンニョンハシむニカ?』(Doremi Records)を発表するが、契約期間終了とともに解散状態へ。
2003年、ドラマー伊藤孝喜、加入。
2005年、佐藤行衛、芸能ビザなしで入場料受ける公演をしたという理由で強制追放。
2009年、佐藤行衛、初のソロ・アルバム『愛しい君』(Synnara Records)を発表。日本人歌手が全曲韓国語で作詞/作曲した韓国大衆音楽界初のアルバム。
2010年、ベーシスト、明井幸次郎、加入。
佐藤行衛、弘益大前文化芸術功労賞受賞。
2011年、コプチャンチョンゴル、セカンド・アルバム『僕と一緒に踊ろう』(Beatball Records)を発表。
2012年、コプチャンチョンゴル、サラダと専属契約を結び、文化体育観光部長官の雇用推薦を受けてメンバーの伊藤孝喜と明井幸次郎が、11月、E-6ビザ取得。
2013年、コプチャンチョンゴル入国記者会見、および初のショーケース。
サード・アルバム『その日はやって来る』(Beatball Records)発表。
“佐藤行衛&コプチャンチョンゴル”初の単独有料コンサード“反戦を叫ぶ”開催。
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